かすかなきっかけや仕掛けで人の行動を誘導する──

要約:ナッジ理論とは、人々に選択の余地を残しつつも、自然とある行動へ誘導していく行動経済学の理論を意味する。命令や禁止ではなく、ささやかなきっかけによって人の行動を変えようとする発想。

軽く肘でつつくように誘導する

ナッジ理論という経済行動学の考え方がある。

ナッジ(nudge)とは、「軽く肘でつつく」という意味を持ち、命令や禁止ではなく、まるで肘でつつくように、「ささやかなきっかけによって人の行動は変わる」という点に注目した発想が、ナッジ理論だ。

これまでの政策や制度は、ルールや罰則、金銭的なインセンティブによって人を動かそうとしてきた。それは「飴と鞭」と言ってもいいかもしれない。

一方、ナッジ理論は、もう少し見えない形で、人々の行動をそっと誘導する。

これは人間が必ずしも合理的に判断しない存在であるということを前提にする。たとえば、「選択肢の並び方」や「初期設定」、「周囲の雰囲気」といった、些細な要素に心理的影響を受けながら人は判断する。

完璧に理性的な存在であれば、選択肢の順番など関係ない。しかし実際には、「最初に提示されたものを選びやすい」「デフォルト設定をそのまま受け入れやすい」といった傾向がある。

ナッジ理論は、この人間の非合理性を認めた上で、強制するのではなく、自然と望ましい方向へ導くように工夫をこらす。そこに、ナッジ理論の特徴がある。

日常に潜むナッジの工夫

たとえば、コンビニやスーパーのレジ前に足跡シールを貼っておくことで、客に「ここに立っておけばいいのか」という意識をつけ、自然と列が整備される。誰も「ここに並べ」と命令していない。でも、シールという小さな手がかりが、行動を誘導する。

また、スウェーデンでは、人々を運動に促すために、駅の階段にピアノの鍵盤のデザインを施し、実際に歩くとピアノの音が鳴るようにすることによって階段を使う人が増えた、という事例もある。

楽しさという感情が、健康的な行動へと人を導く。

他にも、男性小便器にある的のデザイン、健康的な食品を目につきやすく配置する工夫など、数々のナッジがある。

これらはすべて、選択の自由は残されたままでも、ある種の工夫によって、人の行動を強く方向づける仕組みとなっている。

幅広い応用と大きな可能性

ナッジ理論は、公共政策からマーケティングまで幅広い分野で応用されている。

企業もまた、ナッジを活用している。オンラインショッピングでの「おすすめ商品」の配置、定期購入への誘導、限定感を煽る表示──これらはすべて、消費者の行動を特定の方向へと導くナッジと言える。

ナッジの力は、その目立たなさにある。受け手が、そうだと気づかないうちに自然と誘導されている。

大きな制度変更や厳しいルールを必要とせず、「小さな工夫」で大きな効果を生む。その効率性ゆえに多くの分野で注目される。

気づかぬうちの「操作」という危うさ

一方で、ナッジには注意すべき危険性もある。本人が気づかないうちに、ある選択に誘導されている、という点で、操作や管理に繋がる側面もはらんでいる。

一体誰が、どの価値観にもとづいてナッジを設計しているのか、という問いは避けられない。

政府が「望ましい」と考える行動が、本当に個人にとって最善なのか。企業が誘導する消費行動は、消費者の利益になっているのか。ナッジを設計する側の意図が問われる必要がある。

広告やプロパガンダに限らず、世の中は、そういった誘導で溢れている、ということは受け手側も理解しておいたほうがいいかもしれない。そしてそれは資金や影響力があるほど、大規模かつ巧妙にできる側面もある。

ナッジ理論は、人間の弱さを利用する技術でもあり、同時に、その弱さを前提に社会を設計し直そうとする試みでもある。それは、自由と誘導のあいだにある、きわめて現代的な思想と言える。

関連用語 : パノプティコン恐怖訴求(フィアモンガリング)