2+2=5を信じる世界──

要約 : 二重思考(ダブルシンク)とは、ジョージ・オーウェルの小説『1984年』に登場する、相反する二つの信念を同時に抱き、その両方を受け入れる能力のこと。矛盾を矛盾として認識させないことで、個人の批判的思考を麻痺させ、権力への絶対的な服従を可能にする。「嘘」を「真実」として信じ込もうとする心理的な自己欺瞞は、現代にも通じるテーマである。

「矛盾」を飲み込む技術

二重思考とは、一見して相容れない二つの概念を、心の中で同時に正しいものとして受け入れる心理的なプロセスを意味する。

オーウェルのディストピア小説『1984年』の舞台となるオセアニアでは、スローガンとして掲げられる「戦争は平和である」「自由は屈従である」「無知は力である」という言葉を、国民が疑いなく信じることが求められる。

通常、人間は「Aであり、かつ非Aである」という矛盾に直面すると強い違和感を抱く。しかし二重思考においては、その違和感そのものを意識から消し去り、矛盾を「真実」として処理する。

「嘘」と「二重思考」の決定的な違い

二重思考は、単なる「嘘」や「偽装」とは一線を画す。 自分に嘘をつく者は、通常、嘘をついているという自覚を持っている。しかし、二重思考においては、「嘘をついているという自覚」さえも消去しなければならない。

意識的に自分自身に嘘をつきながら、同時にその嘘によって信じることを、本当に真実だと心から信じ切る。 具体例で言えば、「2+2=5」と権力者が言えば、客観的な事実がどうであれ、心底から「2+2=5」を信じるようになるのだ。

自由とは、2+2=4と言う自由である。

ジョージ・オーウェル『1984年』

二重思考において、嘘をつく者と嘘をつかれる者は、いずれも自分自身である。自らの知性を動員して自らの理性を欺き、その欺瞞の事実さえも忘却の彼方へ追いやる。 そこには、もはや「私」という一貫した主体は存在しない。あるのは、外部から与えられた「正解」に合わせて、絶えず記憶と論理を組み替え続ける「空虚な思考の装置」だけである。

客観的な現実が目の前にあっても、党が示す「現実」を唯一の正解とする。 この「忘れたということを忘れる」という高度な精神的規律こそが、二重思考の本質である。

なぜ人は二重思考に陥るのか

物語の中では、この思考法は党による徹底した洗脳として描かれるが、それは決して架空の物語だけの話ではない。

人はあまりに過酷な現実や、逃れられない大きな組織の中に身を置くと、精神の崩壊を防ぐために「現実を書き換える」という選択をすることがある。

自分が信じている正義と、目の前で行われている不正の矛盾に耐えられなくなったとき、二重思考は「心の安全装置」として機能してしまうのだ。

現代社会に潜む二重思考

現代社会では、二重思考という概念はますます現実味を帯びている。

わかりやすく言えば、SNSにおける過度な二極化などを背景に起こっている現象も、ある種の二重思考の身近な例として挙げられる。

自分たちの属するグループに都合の悪いデータが出たとき、それを「捏造だ」と断じる一方で、自分たちの信じることは即座に「真実」とする。

ここではなにより「自分が信じたい結論」が優先される。

また、組織内での「忖度」によって明らかに間違った方針を正しいと強弁する状況も、現代における二重思考と言えるかもしれない。

思考と感受性を守るために

二重思考の恐ろしさは、それが「個人の内面」を完全に支配してしまう点にある。

自分の感受性くらい、自分で守れ、という茨木のり子の詩があるが、自分の目で見ているもの、自分の肌で感じている「明らかにおかしい」違和感よりも、外部(権力、権威、マスコミなど)から与えられた「正解」を優先してしまったとき、私たちは自分自身であることをやめてしまう。

二重思考という言葉を知ることは、私たちが無意識のうちに自分を騙していないか、矛盾から目を逸らしていないかを見つめ直すための、重要な手がかりとなる。

関連用語 : ディストピア確証バイアス